一年で一番長い日 93、94「本当に賢い人間はドラッグなんてやらないものだけど、依存症にならないよう節制しながらたしなもうとする程度には賢い人間もいるのよ」芙蓉は言う。 「ドラッグと節制って相容れない言葉だよね」 俺は答えた。実際、あれは節制できなくなるからこそ怖いんじゃないのか? 「煙草でもチェーンスモーカーな人はいるけど、本当にたまにしか吸わない人もいるでしょう? それと同じみたいよ。それに」 「それに?」 俺の問いに、芙蓉は頭を振った。 「なんだかバカみたいだと思うんだけど」 そういうあたりが<セレブ>っていうか、金持ちの道楽なのかしらねぇ、と呟いて、芙蓉は続ける。 「その会員制クラブでドラッグをやる場合、メディカル・チェックが義務付けられているらしいの。ある薬物に対してどれくらいの耐性があるかは人によって違うから、まずそれを確認してからでないとドラッグ・サービスは受けられないようになってるらしいわ」 「サービスって」 俺は声を失った。有り得ないだろう、それ。焼肉屋で会計した時にくれるミントガムじゃないんだから。 「だって、そこでのドラッグは、<ちょっとしたお楽しみ>ですもの。それがメインじゃないのよ。いろいろあるサービスのうちのひとつにすぎないの」 「はぁ・・・」 突拍子もない話に、俺は頷くしかなかった。 「ドラッグをカクテルするのは<シェイカー>って呼ばれていて、かなり腕が良いらしいわ。なんでも、あらゆる薬物に通じていて、その腕は天下一品。客の顔色を見てその日の体調にベストなドラッグを処方してくれるそうよ。もちろん、それは会員のメディカル・チェック・シートを頭に入れてるからでしょうけど」 「年会費、高いだろうなぁ・・・」 俺は思わず呟いた。依存症にならないように、健康を害さない程度にドラッグを楽しめるように。そうするためにはどれだけのお金がいるだろう。 「入会金と年会費を足すと目が回る金額になるわ。一回利用するにも費用がかかるしね」 聞いているだけで目が回ってきた。不明ペット探し一日三千円+成功報酬が一万円だぜ。・・・捕獲時に出来た派手な引っ掻き傷を見て、あと二万円くらい上乗せしてくれる飼い主もいるけどさ。 まったく別世界。異次元のような話だ。 ************************** 「で? ヘカテっていうのは、その<シェイカー>のオリジナルカクテルってことなのかな?」 芙蓉は頷く。俺は唸った。ドラッグのカクテル・・・そんなもん、いらん。俺は普通のカクテルでいい。そういえば、<サンフィッシュ>のバーテンは腕が良かったなぁ。さりげない気遣いも心地よかった。また飲みにいきたいな・・・ 「とある会員のその日の体調に合わせてカクテルしたものらしいんだけど、その会員がとてもこのオリジナルカクテルを気に入ったんですって。素晴らしい幻影を楽しんだんだとか」 「素晴らしい幻影? どんな?」 さぞかしサイケデリックな幻を見たんだろうな、おい。 「宇宙空間に浮かんで、でもその宇宙空間自体が自分自身で・・・やがて黒い月が昇り、紫色の太陽を隠してしまう・・・太陽が砕けて星になり、見えない光が空間を包んで、現れた白い部屋で白いマカロンを食べて、窓から外を見ると紫色の月が昇って・・・」 芙蓉は息をついた。 「さすがはドラッグの幻影だわ。わけがわからない。とにかく、その黒い月と紫の月のイメージから<ヘカテ>と名づけたということよ」 「そんな幻影が見たいなら、『2001年宇宙の旅』でも観ればいいのに」 俺は呆れた。謎の光に満ちた空間を通って謎の空間に着いた宇宙飛行士が、現れた白い部屋に入って自分自身が死ぬ瞬間を見、胎児として生まれ変わる・・・こっちのほうがよほど幻想的だぞ、おい。 「あくまで自分の脳が見る夢に浸りたい、ってことらしいわよ」 「君はなんでそこまで詳しいんだい?」 「うちの店のお客様のひとりに聞いたの。──それ以上はダメ。話せない。高山の件とは別にあなたの身の安全が保障できないから」 身の安全って。その前に、今「高山の件とは別に」って言ったよな? ・・・深く追求するのはよそう。 「そのクラブではあくまで”上品に”ドラッグを愉しむというスタイルだから、問題はなかったらしいわ。特にヘカテは節制して使うぶんにはいいけど、量を間違えると怖いんですって。それはどの薬物でも同じだけど、ヘカテはかなり、刺激的らしいのよ」 ドラッグはそれだけで十分刺激的だと思うんだが、まだ足りないのか。世界一辛いというハバネロでも齧ればいいのに。 口から火を吹くくらい刺激的だと思うぞ、俺は。 「<シェイカー>はそれをよく分かっているから、最適な量を出すことが出来るんだけど。でもこういうものって、あれはいいとか悪いとか、口コミで広がるものでしょう? 他の<カクテルバー>でも類似品が造られるようになったのよ」 次のページ 前のページ |